思案と思弁

日記やらエッセーやらを載せていきます。

いまさら、『ねじまき鳥』について

 本当に今更ながら村上春樹ねじまき鳥クロニクル』を読み終わった。詳細な感想は後々書くとして、ここでは、この小説が僕に思い出させた様々なものについて書いていきたいと思う。

 とは言っても、それはこじつけのような(妄想のような)想起に過ぎない。僕の頭の中を通り過ぎていった様々なもの。それは西尾維新であり、グレート・ギャツビーであり、『Avalon』(押井守)であり、そして宮部みゆき『悲嘆の門』だった。

 『悲嘆の門』。何年振りにこのタイトルを思い出しただろう。僕は少なくとも3年以上、このタイトルについて、あるいはそれが指し示す物語について想いを馳せることがなかったのだ。

 宮部みゆきのファンタジーに対して、僕はそれなりに好感を持っていたはずだ。けれど、『悲嘆の門』は滑らかに、そうあってはならない速度で僕の中をすり抜けていった。輝かしくも鬱々とした青春の1ページとするには、その読書体験はあまりにささやか過ぎた。

 しかし今、僕は卓上の『ねじまき鳥』を横目に見ながら、それについて思いを馳せることに成功している。それは無論何らかの啓示などではない。小説はあくまで小説にすぎない。

 しかし、それにしても懐かしいものを思い出したものだ。……といささか自家撞着めいた表現を記してしまう程度には興奮している。