思案と思弁

日記やらエッセーやらを載せていきます。

シン仮面について、改めて思いつくままに

 わりとそこらで「『シン・仮面ライダー』は『ボーン・アイデンティティー』であり『バオー来訪者』であり『MGS4』(BB部隊周り)なんだよ!」みたいなことを言っているが、はっきりと記述したことはなかったと記憶しているので、改めてここに記載しておく。

 

 しかしなぜ今『シン仮面』なのか。無論これはこの記事全体にかかるような根源的な問いではない。週末批評でシン仮面評を目撃したことが主な原因であり、それ以外にはありえない。

 正直に白状してしまえば、シン仮面評について、僕はひどく苦々しい思いを抱いている。これまでに自分が、ユーモアに富んだ、クリティカルで胸が沸き立つような評論を読むことができていないからだ。勿論、そんな評論が書かれている映画の数はそう多くないし、仮に書かれていたとして、それを名文として、ある種の文学として受容できるだけの素地が自分に備わっているとは言いがたい。それを解決するためには、シン仮面的に言えば「世界を変えるのではなく、自分を変える」必要がある。しかし、自分を変えたところで現実が変わることはない。

 とはいえ、映画の受容においてはそうした主体のありかた、態度が何より重要となる。そのことを、僕は自分がnoteに書いたシン仮面評で思い知った。なんというか、あそこに表現された言葉の多くは浮薄で、芯を捉えられていないように感じたのだ。端的に言って、僕は評価軸を誤ってしまった。見るべきでないところ、掘るべきでないところ、拘泥するべきでないところに紙幅をさいてしまった。それに尽きるだろう。

 今書くとすれば、たぶん冒頭に記したようなモチーフを援用して多角的にやるだろうが、それでも不十分であるような気がする。何かが足りていない。そんな気がする。