思案と思弁

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『シン・仮面ライダー』配信によせて、愚痴

 シン・仮面ライダーに自分が期待していたのは、わりと『MGS4』の最終決戦みたいな感じだったのかもしれない、と最近思う。シリーズの総括としてのメタ演出。それがあれば、やっぱり僕はシン・仮面ライダーを手放しで肯定できたんだろうと。

 嫌いな作品ではない。けれど僕はライダーファンとして、この作品を賞賛し他人に勧めることができない。なぜって、そこにはあるべきもの、然るべきものが欠けているからだ。

 それは「これまでのリメイク作品」という視点。ひいては、「仮面ライダーというコンテンツが50年続いてきた」という視点だ。

 だいたい、初代仮面ライダーのリメイクはそう珍しいものではない。ライダーは定期的に原点回帰を、直接的なかたちで行い続けてきた。『仮面ライダー(新)』(スカイライダー)や、『真・仮面ライダー序章』を筆頭とするネオライダー三部作、『仮面ライダーTHE FIRST』、『仮面ライダーTHE NEXT』、紙媒体では『仮面ライダーSPIRITS』も挙げられるだろう。だがそうしたすべてへの言及は、件の『シン・仮面ライダー』には何一つなく、それどころか、先述の作品が積み重ねてきた手練手管をすべて無視するかたちで成立していた。

 僕はそのことに、やっぱり憤らずにはいられない。それは断絶であり、そして庵野秀明というクリエイターへの絶望でもある。彼はどこまでも初代『仮面ライダー』のファンとして映画を撮る事に決めたのだ。そして50年の歩みに背を向けた。偏愛という、映画的時間に落とし込むにはあまりに脆いそれを貫き通すことを選んだ。そうして、僕は、ライダーファンとしての僕は永遠に置き去られた。

 そのことを素直に悲しむことができるようになったのはつい最近のことだ。そんな折に『シン・仮面ライダー』が配信され始めたのは数奇な偶然である。

 ようやく、まっさらな気持ちであの映画と向き合える時が訪れたのかもしれない。